「国を支えてゆくのは、志を持った国民一人ひとりである」と福沢は説いています。
(中略)

ところが、今の時代は「国は頼るべきである」という考えが横行しており、何かあると、二言目には「国が何もしてくれないから」と口にするだけでなく「学校が、あるいは企業や組織のリーダーがダメだから」などと独善的・利己的で謙虚さのかけらも無い極めて他責本位の人々が多くなっているように思われます。国が悪いから国民も堕落するのだと考えるのではなく、一人一人がしっかりと自責の念を踏まえ「独立自尊」の気概で「立国は私から」の思いを強くしていけば、その集合体である国家の未来は切り開かれ、必然的に自立した品格のあるものになるはずなのです。

マスコミは、国民の感情を煽るように「国が、政治家が、役人が悪いんだ」との主張を繰り返しますが、その中で「われわれ国民の皆が、もっとしっかりしなければ」と訴えるメディアが、まず見当らないのは、残念なことです。
(中略)

昔の日本の教育界には、優れた師がいて弟子を感化し、その弟子がまた良き師になって門弟を育ててゆく−という好循環があったようです。
(中略)

また、開国後は外交が最重要だ、そのためにはコミュニケーション能力が大切だ、と日本最初の演説館を塾内に建立し、人材育成に努めました。
(中略)

マスコミの重要性と影響力にも注目し、(中略)
 中でも、「相手を批判するときは、必ず“対案”を持て」と主張しており、これこそ、昨今のジャーナリストの面々には肝に銘じていただきたいと思います。
(中略)

「学問のすすめ」は冒頭の「天は人の上に人を造らず」という文言から四民平等を唱えたものと受け取られがちですが、中身は全く違ったものです。福沢は本書において、国民が自らの勉強不足を棚に上げ、政府に対する不満ばかりを口にしていると痛烈に批判し、国を良くしようと思うなら、もっと学問せよ、と冷や水を浴びせたのです。

 批判の矛先は庶民だけに向かったわけでなく、葬式仏教に成り下がった今の坊主どもはどうしようもない、華族どもは、まるでものを考えず生きてきただけで、常識不足で、人間器量もないから、もっと身近な勉強から始め、人質レベルを上げよ…などとこき下ろしました。
(中略)

福沢が特に警鐘を鳴らしたのは、「怨望(えんぼう=嫉妬心)は最大の不徳である」として、より良い社会を造るには、成功者をねたまず、敬意を表し、自らも努力をかさねることが重要だと説いたことです。

彼は塾生の長所を見極め、伸ばす教育が得意だったようで、強みや優れたところを褒め、将来の進路をアドバイスしたため、明治維新以降、各界で活躍する多くの人材を輩出することになったのです。人間は、自分のためだけに一生懸命生きるとき、崇高になるのではなく、周りの人たちのため、国のためになろうと思ったときに、初めてそこに徳が生まれ、品格が養われ、人間器量が大きく膨らんでゆくものだと思う次第です。

 

(上田和男、国際ビジネスマンの日本千思万考、2014年3月29日



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