慰霊碑と天使の像があった。碑には、幼くして命を落とした児童たちの名が刻まれている。この子たちの一生が、どんなに短かったとしても、1人ひとりが素晴らしい四季に巡り会っていたはずだ。間違いなく満ち足りた日々があって、寿命をまっとうしたのだから、不運だと思うのは、その子の人生も、今を生きる私たちの生をも否定することになってしまう
(中略)
人は己を不運だと考えた途端、袋小路に踏み込んでしまう。そこには光が差し込まない闇しかなく、その瞬間から、生きる力が停滞してしまう。そこには光が差し込まない闇しかなく、その瞬間から、生きる力が停滞してしまう。だから私は、不幸な時期や逆境に喘ぐ若い人に胸の底でつぶやく。――決して不運と思うなよ。もっと辛い人は世の中にゴマンといる。今、その苦しい時間が必ず君を成長させる。世間、社会、他人を見る目が広く深くなるのだ、と。
(中略)
今、私は60代半ばだが、死ぬまで、若者でいたい。いつも目覚める時には「きょうだぞ!」と思う。「きょう、今まで書けなかった文章が書けるかもわからない」とか「きょう、自分の生涯で一番大切な人と会えるかもしれない」と期待しながら起床する。ありきたりだが、不運の反対が幸運だとしたら、それは待っていてもやって来ないからだ。

伊集院静、作家、PRESIDENT Online スペシャル、2016年7月18日




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