――お二人は「仕事で悩みを抱えているときにランニングを続けた」という共通点があると。


江上:走り始めたときは、僕自身、たいへんな時期にありました。(中略)
でも走ってみるといろいろな発見がありました。早朝、近所の人たちと一緒に走るわけですが、そのおしゃべりを聞いていると、それぞれ悩みがあるのです。
私は仲間のおしゃべりを聞きながら、「自分だけが特別大変じゃないんだ」「みんな大変なんだ」と実感できた。でも、みんなこうして健気に元気に、明るく生きている。「おい、そう深刻ぶるな、お前だけがなやんでいるんじゃない」と自ら励ますことができました。
うれしかったのは、あれだけ世間を騒がせているのに、誰一人として批難がましい顔もしないで、いつもの調子で「おはようございます」と応じてくれたことです。興味はあるのだろうけど、誰も聞かない。静かで優しさに満ちた無視で、本当にありがたいと感じましたね。ですから、僕は走ることで、救われたところがあるんです。

辰濃:退社したのが、2004年8月。(中略)最終的な責任は私にあるので、責任を取って会社を辞めましたが抗弁することのむなしさを知っていましたから、誰に何を聞かれても、じっと耐えるしかなかった。精神的に追い込まれていたんでしょうね。

そのころは、ほとんど走っていませんでしたが、その年の年末か年明けくらいでした。何か一歩を踏み出したかったのでしょうね。自宅裏に公園があるのですが、ゆっくりと走ったんですよ。走っていると、苦しい。それが生きている実感として跳ね返ってくる裏切られたことも、どうでもいいように思えてくる。許せるんですよ。胸を張って、前を向いてさえいれば、何とかなるような気がしてくるから不思議でした。

江上:一緒に走ることは楽しいのだけど、今は1人で走ることも多い。1人で走ることは、自分で向き合う感じがあるんですよね。

辰濃:走ることは自分に負荷をかけることですよね。その負荷に耐えているじゃないかと、心の中のマイナス部分を打ち消すことができる。優越感を持てるというか、自ら鼓舞されてくる。つまり心理的な障害を越えて、一歩踏み出している自分を確認できるわけです。そうすると、すべてを許せる感じになっていく。小さいことはどうでもよくなって、気持ちが大きくなる。

走る仲間には、お互いがどんな仕事をしているかなんて関係ないんですよ。だから聞かない。「どんな大会に出たの?」とか「どのくらいで走るの?」が興味あることで、生活や仕事などに干渉しない世界で、「走る」ということの1点のみを共有している。そこが心理的に救われるゆえんです。

江上:一歩踏み出したら間違いなく、世界は変わると思います。人と競うのではなく、自分の内面が変わっていく。それにアイデアとか考えていることがどんどん整理されてくるし、これは希有な体験ですと、強調しておきます。


江上剛、作家;辰濃哲郎、ノンフィクション作家;「走ること」はこんなにも素晴らしい!、東洋経済オンライン 2015年2月21日



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