これだけテクノロジーが発達した時代でも、医療の現場は最新の医学や科学をもってしても、まったく説明のつかない事象に満ちているといっても過言ではありません。

私は次第に、人間の生死には我々の理解を超えた「何か」が働いているのではないかと考えざるを得なくなったのです。
その結果、私は「寿命が来れば肉体は朽ち果てるが、霊魂は生き続ける。その意味で、人は死なない」という考えに至りました。つまり、人間というのは肉体とエネルギー体、いわゆる「霊魂」に分かれているとしか思えなくなったのです。

つまり、人は亡くなると肉体という枷が外れ、霊魂は自由になり、他者の意識にも共鳴できるようになるのではないでしょうか。

ある方が亡くなりかけていて、ご家族が臨終を看取ろうと周りに集まっている。その時、患者が見ている「あの世からのお迎えの光景」を家族の人たちも同時に見てしまうというものです。これは、西洋では既に認知されている現象です。科学的検証こそできていませんが、患者本人ではない第三者までもが同じ体験をするのですから、「脳内現象」というよりは、意識(霊魂)の同調を起こしていると考えるのが自然です。

では、「死」によって肉体から解き放たれた霊魂はどこへ行くのでしょうか。私は、霊魂が向かう先は我々とは別の次元の意識世界、いわゆる「あの世」であると考えています。


私なりの考えでいうと、我々の生きている世界はいわば競技場のようなものです。私たちはこの競技場の中で、人生という苦しい競技に参加し、お互い競い合っているわけです。
その中で、「あの世」はいわば競技場の観客席です。観客席と競技場の間にはマジックミラーがあって、こちらから向こうは見えないが、向こうから私たちの様子を見ることはできる。やがて競技が終わると、つまり肉体的に死ぬと、私たちは霊魂となって観客席へと移るのです。そして、もう少し競技をしたいと思う人は、競技場の中に戻るように、再びこの世に生まれ変わることができるのだと考えています。

、「人には霊魂がある」という考え方を受け入れたらどうでしょう。「人は必ず死ぬのは確かだけれど、人間にとって死は終わりではなく、魂は永遠に生き続ける」……。
、「魂は死なない」というイメージがインプットされれば、この世では自分は理不尽な人生を送っていたけれど、悠久の生の中でみれば、そうした理不尽さという意識を解消することもできるだろう、という視点に立つことができます。そうすれば、死を無意味に恐れることもなくなることでしょう。


(矢作直樹、東大病院救急部長、週刊現代、2013年8月25日


 

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